この記事は、法トリ(元弁護士)が書いています。

日本国憲法には,基本的人権の保障(尊重)・国民主権・平和主義の,3大原理があると解されていますが,そのうちでも最も重要な原理は基本的人権の保障の原理です。
基本的人権(人権)とは、人が生まれながらにして有する、侵すことのできない永久の権利です。日本国憲法は、この基本的人権を現在および将来の国民に保障しています(日本国憲法11条)。
基本的人権とは
日本国憲法 第11条
- 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
日本国憲法は「個人の尊厳」の確保を最大の目的としています。そして、この個人の尊厳確保のため、日本国憲法では、基本的人権の保障(尊重)・国民主権・平和主義を三大原理としています。
この三大原理のうちで最も重要な原理は、言うまでもなく、個人の尊厳の確保に直結する「基本的人権の保障(尊重)」の原理です。
日本国憲法は、その11条において、「国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。」と規定し、基本的人権が保障されることを明らかにした上で、12条以下で、具体的な基本的人権保障規定を置いています。
この基本的人権(単に「人権」と呼ぶ場合もあります。)とは何かについては、さまざまな考え方があります。ホッブズやルソーらによって提唱された自然法的な考え方が、我が国においても通説的見解とされています。
この通説的見解によると,基本的人権は人が生まれながらに有している権利であると解されます。
そうすると、基本的人権(人権)とは、人が生まれながらにして有する、侵すことのできない永久の権利であると言えます。
基本的人権保障の歴史と変遷
日本国憲法 第97条
- この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
基本的人権の保障といっても、当初から現代のようなあらゆる人権保障が認められていたわけではありません。日本国憲法97条にあるように、さまざまな試練を経て基本的人権の保障が認められるようになった経緯があります。
また、時代によって、求められる人権には変遷があります。具体的に言うと、「国家権力からの自由」にはじまり、さらに「国家権力への自由」「国家権力による自由」も求められるようになっていき、現在に至ります。
人権思想の淵源
人権保障の歴史の始まりは、イギリスにおいて1215年に制定されたマグナカルタ(大憲章)にあると言われています。その後、イギリスでは、1689年に、権利章典によって国王の権限が大幅に制限されるに至りました。
これらは、強大な国王の国家権力を制限して、国王による国民に対する権利侵害を制約しようというものではありましたが、その主眼はあくまで貴族階級が国王の権力を制限しようとしたところにあり、一般市民の権利を保障するほどのものではありませんでした。
しかし、このマグナカルタや権利章典以降、ホッブズによって、社会契約・自然権といった思想が主張されるようになり、さらに、ホッブズの思想を批判的に昇華させたロックやルソーといった啓蒙思想家によって、自然法概念は近代的な人権思想へと発展していきました。
国家権力からの自由
近代の絶対主義の時代、国民・市民は、国王というあらゆる国家権力を一手に有する絶対的な権力によって、完全に支配されていました。したがって、国民・市民には、権利はほとんどなかったのです。
このような状況下において、国王という絶対的権力によって支配されていた国民・市民がよりどころとしたのが、自然法思想です。
そして、この自然法思想はさらに発展し、さらにそこから、個人の人権は国家権力によっても侵害できないものであるという近代的人権思想が生まれていくことになります。
近代的な人権思想とは、すなわち「国家権力からの自由」です。
この国家権力からの自由という思想に基づき、18世紀以降、市民革命の時代が到来します。その先駆けとなったのが、アメリカ独立革命です。この革命によって、国家権力からの自由を表明したのがバージニア権利章典(1776年)です。
さらに、この国家権力からの自由という初期近代的人権思想は、フランス大革命によって最高潮に達します。この革命によって絶対王政を打破した市民は、1789年に人権宣言を行い、より明確に個人の人権が認識されることになりました。
その後、このフランス大革命の成功はヨーロッパ各地に飛び火し、ヨーロッパ全土において、近代的な人権思想が拡散されていくことになりました。
近代における国家権力への自由
上記のとおり、近代的人権思想の根本は、国家権力からの自由にあります。しかし、同時に「国家権力への自由」も、人権思想として芽生えました。
国家権力への自由とは、国民が国政に参加する自由・権利を有しているということです。この権利は、参政権と呼ばれます。
市民革命によって、それまであらゆる国家権力を有していた国王が打破されて、市民にも国政への参画が認められるようになりました。
ただし、近代においては、あらゆる人に国家権力への自由が認められていたわけではありません。この頃は、あくまで一定のエリート階級にのみ国家権力への自由が認められていたにすぎません。
国家権力による自由
イギリスにおける産業革命を契機として、世界的に自由主義経済・資本主義が発展していきます。
この資本主義の発展により、国家全体は大きな利益を収受を得ることになっていきます。しかし、それと同時に、資本家と労働者との間に大きな格差が生じていくことになりました。
近世・現代に至ると、この「持つ者」と「持たざる者」との間の貧富の格差が埋めようもないほどに大きくなります。
その結果「持たざる者」である労働者階級は、「持つ者」である資本家によって搾取され、過酷な労働条件等を課されることになります。
こうなってくると、持たざる者にとっては、たとえ人権が保障され、国家権力から自由であったとしても、結局は、同じ市民であるはずの「持つ者」である資本家から権利侵害を被ることになります。
そのため、現代国家では、個人の人権に対して不当な制約を加えないという消極的な「国家権力からの自由」だけでは足りなくなります。
そこで、現代国家では、個人の人権を実質的に保障するために社会的・福祉的な政策をとらなければならないという積極的な「国家権力による自由」を確保するという役割も求められるようになっていくのです。
ちなみに、国会に対しては「国家権力からの自由」のみが求められており、国防や外交といったものだけをすればよいという時代の国家観を「夜警国家」や「消極国家」といいます。
他方、国家には「国家権力による自由」まで求められ、社会福祉的政策をとることが求められるようになった時代の国家観を「福祉国家」や「積極国家」と呼ぶことがあります。
現代における国家権力への自由
時代は進み、身分差別の禁止・男女平等という思想が進むにつれ、それまで一定のエリート階級にだけ認められていた参政権が、より多くの市民に開放されていくことになります。
現代の日本においても、当初は成人男子のみにしか認められていなかった参政権が、いまや身分・男女の別にかかわらず認められるようになっています。
現代においては、近代以上に「国家権力への自由」が拡大されているのです。
基本的人権の性質
基本的人権には、「固有性」「普遍性」「不可侵性」という3つの性質があると解されています。
- 固有性:国家などによって与えられたものではなく、人が人であることに基づいて当然に保障されること
- 普遍性:人種・性別・身分などに関係なく、人であれば誰にでも保障されること
- 不可侵性:公権力や多数意思によって侵害されないこと
基本的人権の分類
基本的人権は,大きく分けると、以下のように分類できます。
- 自由権
- 社会権
- 参政権
- 受益権(国務請求権)
- その他の人権
自由権
前記のとおり、基本的人権の根本は「国家権力からの自由」にあります。国家権力からの自由とは、国家権力から制限されない権利を持っていることです。これを「自由権」といいます。
自由権には、精神的自由権・経済的自由権・身体的自由権があります。
精神的自由権とは、精神の自由とも言われます。人がどのようなことを考え、どのようなことを思っていようとも、国家権力によってそれを制限されるいわれはないということです。
日本国憲法では、思想および良心の自由(日本国憲法19条)、信教の自由(日本国憲法20条1項)、表現の自由(日本国憲法21条)などが精神的自由権として保障されています。
経済的自由権とは、個人の経済活動について、国家権力による干渉や不当な制限を受けることはないという人権を意味します。
日本国憲法では、職業選択の自由(日本国憲法22条1項)・営業の自由(日本国憲法22条1項の解釈)などが経済的自由権の代表的な例です。
身体的自由権は、人身の自由とも呼ばれます。国家権力によって不当に身体拘束を受けることはないという人権です。
日本国憲法では、令状のない逮捕の禁止(日本国憲法33条)や黙秘権(日本国憲法38条1項)などが身体的自由権に含まれます。
社会権
社会権は「国家権力による自由」に当たる人権です。
社会権とは、人が人らしく生きていくために必要最低限認められるべき権利を意味します。国家は、この社会権保障を実現するために努力すべき義務を負っていると解されています。
日本国憲法で保障される社会権には、生存権(日本国憲法25条1項)・教育を受ける権利(日本国憲法26条1項)・労働基本権(日本国憲法28条)などが含まれます。
参政権
国民が国政に参加することができる権利のことを参政権といいます。前記の「国家権力への自由」に該当するものです。
日本国憲法で保障される参政権には,選挙権(日本国憲法15条1項)や被選挙権(日本国憲法15条1項の解釈)があります。
受益権(国務請求権)
受益権とは、国家に対して一定の給付や行為を請求できる権利です。国務請求権と呼ばれることもあります。
日本国憲法では、請願権(日本国憲法16条)、裁判を受ける権利(日本国憲法37条1項)、国家賠償請求権(日本国憲法17条)などが保障されています。
その他の基本的人権
上記の他にも、基本的人権の分類として、平和的共存権、包括的基本権、平等権などもあります。
また、時代の変化とともに、基本的人権として保障されるべき権利は、日本国憲法13条の包括的基本権を根拠に、新しい人権として保障されることもあります。
基本的人権の制限
前記のとおり、基本的人権は不可侵性を有する「侵すことのできない永久の権利」です。もっとも、実際には、無制限ではありません。「公共の福祉」による制限を受けることがあります(日本国憲法12条、13条、22条1項、29条2項)。
この「公共の福祉」とは、治安維持や国防のためなどといった意味と捉えるべきではありません。そのような意味に捉えると、国家権力による人権制限を許すことになってしまうからです。
そこで、「公共の福祉」とは、人権相互間の矛盾や衝突を調整するための原理と捉えられています。つまり、他人の人権を侵害する場合に限り、人権が制限されることがあると考えるのです。
例えば、極端な例ですが、殺人行為は、他人の生命(を奪われない権利)という最も重大な人権を侵害します。そのため、殺人行為は制限(刑法において殺人罪として処罰)されるのです。
この記事は、法トリ(元弁護士)が書いています。
この記事が参考になれば幸いです。
憲法と資格試験
憲法は、国家の基本法です。そのため、司法試験(本試験)、司法試験予備試験、司法書士試験、公務員試験などの試験科目になっています。
憲法は「入口は広いが、出口は狭い」と言われることがあります。抽象的な議論が多いため、比較的取っつきやすい反面、学習が進むほどイメージをつかみづらく難解に感じるようになるということです。
独学では「本当にこの解釈で正しいのか?」と不安になることもあるかもしれません。効率的に試験対策をするには、予備校や通信講座などを利用するのもひとつの方法でしょう。
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参考書籍
憲法を深く知りたい方やもっと詳しく勉強したい方のために、憲法の参考書籍を紹介します。
憲法(第八版)
著者:芦部信喜 出版:岩波書店
憲法を勉強する人は全員読んでいるのではないかというくらい定番中の定番。著者が亡くなられてからも、改訂され続けています。不足する知識は他の本などで補えばよいだけなので、資格試験受験の基本書としても十分。憲法を勉強するなら読んでおかなければいけない本です。
日本国憲法論(第2版)
著者:佐藤幸治 出版:成文堂
憲法学の第一人者による概説書。レベルは高いです。初学者向きではありません。しかし、通説的見解とは異なる視点から論考されており、憲法の理解を深めることができます。
憲法(第五版)
編集:樋口陽一 出版:勁草書房
こちらも憲法学(特に比較憲法学)の第一人者による概説書。あまり受験向きではないかもしれませんが、より深く憲法を理解したいのであれば、読んでおくべき本です。
司法試験・予備試験など資格試験向けの参考書籍としては、以下のものがあります。
基本憲法I 基本的人権
著者:木下智史ほか 出版:日本評論社
初学者からでも使えるテキスト。資格試験受験生向けに書かれているため、非常に読みやすい本です。司法試験以外でも使えると思えます。
憲法I(第2版)基本権
著者:渡辺康行ほか 出版:日本評論社
2分冊の体系書。共著ですが、内容に矛盾は感じません。ただし、初学者向きではありません。知識量は十分なので、辞書代わりに使えます。
憲法(第4版)伊藤真試験対策講座5
著者:伊藤真 出版:弘文堂
いわゆる予備校本。予備校本だけあって、分かりやすくまとまっています。知識量も十分です。学習のスタートは、予備校本から始めてもよいのではないでしょうか。