基本的人権の保障(尊重)とは?

基本的人権

日本国憲法には,基本的人権の保障(尊重)・国民主権・平和主義の,3大原理があると解されていますが,そのうちでも最も重要な原理は基本的人権の保障の原理です。

基本的人権とは何か?

日本国憲法は,「個人の尊厳」の確保を最大の目的としています。そして,この個人の尊厳という根本原理から,各種の憲法原理が派生し,そのうちでも基本的人権の保障(尊重)・国民主権・平和主義の3つが三大原理であると言われています。

もっとも,この三大原理のうちで最も重要な原理は,言うまでもなく,個人の尊厳の確保に直結する「基本的人権の保障(尊重)」の原理です。

基本的人権(単に「人権」と呼ぶ場合もあります。)とは何かという点については,さまざまな考え方がありますが,ホッブズやルソーらによって提唱された自然法的な考え方が,我が国においても,通説的見解とされています。

この通説的見解によれば,基本的人権とは人が生まれながらに有している権利である、ということになります。つまり,人であれば,誰しもが当然に有している・保障される権利が,人権であるということです。

日本国憲法においては,その11条において,「国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。」と規定しています。

人権保障の変遷

基本的人権の保障といっても,当初から現代のようなあらゆる人権保障が認められていたわけではありません。時代によって,求められる人権というものには,変遷が生じています。

人権思想の淵源

人権保障の歴史は,古くは,イギリスにおいて1215年に制定されたマグナカルタ(大憲章)にあると言われています。その後,イギリスでは,1689年に,権利章典によって,国王の権限が大幅に制限されるに至りました。

これらは,強大な国王の国家権力を制限して,国王による国民に対する権利侵害を制約しようというものではありましたが,その主眼はあくまで,貴族階級が国王の権力を制限しようとしたところにあり,一般市民の各種権利を保障するまでのものとはいえません。

しかし,このマグナカルタや権利章典以降,ホッブズによって,社会契約・自然権といった思想が主張されるようになり,さらに,ホッブズの思想を批判的に昇華させたロックやルソーといった啓蒙思想家によって,自然法概念は,近代的な人権思想へと発展していきました。

国家権力からの自由

近代の絶対主義の時代,国民・市民は,国王というあらゆる国家権力を一手に有する絶対的な権力によって,完全に支配されていました。したがって,国民・市民には,権利というものはほとんどなかったのです。

このような状況下において,国王という絶対的権力によって支配されていた国民・市民がよりどころとしたのが,上記の自然法思想です。

そして,この自然法思想はさらに発展し,さらにそこから,個人の人権は国家権力によっても侵害できないものである,という近代的人権思想が生まれていくことになります。

近代的な人権思想とは,すなわち,「国家権力からの自由」なのです。

この国家権力からの自由という思想に基づき,18世紀以降,市民革命の時代が到来します。その先駆けとなったのが,アメリカ独立革命です。この革命によって,国家権力からの自由を表明したのがバージニア権利章典(1776年)です。

さらに,この国家権力からの自由という初期近代的人権思想は,フランス大革命によって最高潮に達します。この革命によって絶対王政を打破した市民は,1789年に人権宣言を宣言し,より明確に個人の人権というものが認識されることになりました。

その後,このフランス大革命の成功はヨーロッパ各地に飛び火し,ヨーロッパ全土において,近代的な人権思想が拡散されていくことになりました。

近代における国家権力への自由

上記のとおり,近代的人権思想の根本は,国家権力からの自由にあります。しかし,同時に,国家権力への自由というものも,人権思想として芽生えていました。

国家権力への自由というのは,すなわち,国民が国政に参加する自由・権利を有しているということです。参政権と呼ばれます。

市民革命によって,それまであらゆる国家権力を有していた国王が打破されて,市民にも国政への参画が認められるようになりました。

ただし,近代においては,あらゆる人に国家権力への自由が認められていたわけではありません。このころは,あくまで一定のエリート階級にのみ国家権力への自由が認められていたにすぎません。

国家権力による自由

イギリスにおける産業革命を契機として,世界的に,自由主義経済,資本主義というものが発展していきます。

この資本主義の発展により,国家全体としてみれば,大きな利益を収受を得ることになっていくのですが,それと同時に,資本家と労働者との間に大きな格差が生じていくことになりました。

近世・現代に至ると,この「持つ者」と「持たざる者」との間の貧富の格差が埋めようもないほどに大きくなります。

そして,その結果,「持たざる者」である労働者階級は,「持つ者」である資本家によって搾取され,過酷な労働条件等を課されることになります。

こうなってくると,持たざる者にとっては,たとえ人権が保障され,国家権力から自由であったとしても,結局は、同じ市民ではあるはずの「持つ者」である資本家から権利侵害を被ることになります。

そこで,現代国家には,個人の人権に対して不当な制約を加えないという消極的な「国家権力からの自由」だけでは足りなくなります。

国家には、個人の人権を実質的に保障するために社会的・福祉的な政策をとらなければならないという積極的な「国家権力による自由」を確保するという役割も求められるようになっていくのです。

ちなみに,「国家権力からの自由」のみが求められており,国家は国防や外交といったものだけをすればよいという時代の国家観を「夜警国家」や「消極国家」といいます。

他方、国家には「国家権力による自由」まで求められ,国家は社会福祉的政策をとることが求められるようになった時代の国家観を「福祉国家」や「積極国家」と呼ぶことがあります。

現代における国家権力への自由

時代は進み,身分差別の禁止・男女平等という思想が進むにつれ,それまで一定のエリート階級にだけ認められていた参政権が,より多くの市民に開放されていくことになります。

現代の日本においても,当初は成人男子のみにしか認められていなかった参政権が,いまや身分・男女の別にかかわらず認められるようになっています。

人権の分類

基本的人権は,以下のように分類することができます。

自由権

基本的人権の根本は,前記のとおり,「国家権力からの自由」にあります。国家権力からの自由とは,要するに,国家権力から制限されない権利を持っているということですが,これを「自由権」といいます。

自由権には,精神的自由権・経済的自由権・身体的自由権があります。

精神的自由権とは,精神の自由とも言われます。人がどのようなことを考え,どのようなことを思っていようとも,国家権力によってそれを制限されるいわれはないということです。表現の自由・信教の自由などが代表的な例です。

経済的自由権とは,個人の経済活動について,国家権力による干渉や不当な制限を受けることはないという人権を意味します。職業選択の自由・営業の自由などが代表的な例です。

身体的自由権は,人身の自由とも呼ばれます。すなわち,国家権力によって,不当に身体拘束を受けることはないという人権です。令状のない逮捕等の禁止や黙秘権などもこれに含まれます。

社会権

社会権とは,前記の「国家権力による自由」に当たる人権です。

すなわち,人が人らしく生きていくために必要最低限認められるべき権利を意味し,国家は,この社会権保障を実現するために,努力すべき義務を負っていると解されています。

社会権には,生存権・教育を受ける権利・労働基本権などが含まれます。

参政権

国民が国政に参加することができる権利のことを参政権といいます。前記の「国家権力への自由」に該当するものです。これには,選挙権や被選挙権があります。

その他の人権

上記の他にも,人権として,裁判を受ける権利・刑事補償請求権・請願権・国家賠償請求などの国務請求権・平和的共存権などの人権分類もあり得ます。

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