預金や貯金(預貯金債権)は,相続開始と同時に当然に各共同相続人の相続分に応じて分割されるものではなく,遺産分割の対象になると解されています(最大判平成28年12月19日,最一小判平成29年4月6日)。
したがって,遺産分割によって預金・貯金の帰属を確定させない限り,各共同相続人は一部または単独で預金・貯金を払い戻すことはできません。相続人全員の同意を得て払い戻すのが原則となります。
ただし,他の相続人を得られない場合でも,金融機関が便宜払いに応じてくれる場合には,払戻しが可能です。
また,①民法909条の2に基づく預貯金債権の一部行使,②家庭裁判所における遺産分割前の預貯金債権の仮分割仮処分を利用することにより,遺産分割前に,各共同相続人が単独で預金・貯金を引き出せる場合があります。
預金・貯金(払戻請求権)の相続
相続が開始されると,被相続人の預金や貯金(の払戻請求権)も相続財産(遺産)の中に含まれます。したがって,相続人が一人しかいないのであれば,その相続人は,相続開始後,被相続人の預貯金を単独で引き出すことができます。
問題は,相続人が複数人いる場合です。
金銭債権のような可分債権は,相続開始によって相続分に応じて各共同相続人に分割承継されるのが原則とされていますが,預金・貯金の払戻請求権は別です。
預金・貯金の払戻請求権については,他の可分債権と異なり,相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されるものではなく,遺産分割の対象になると解されています(普通預金・通常貯金・定期貯金につき最大判平成28年12月19日,定期預金・定期積金につき最一小判平成29年4月6日)。
したがって,遺産分割によって預金・貯金の帰属を確定させない限り,各共同相続人は一部または単独で預金・貯金を払い戻すことはできません。
遺産分割前に遺産に属する預金・貯金を引き出すには,共同相続人全員の同意を得た上で,共同相続人全員の総意という形で引き出さなければならないのが原則です。
実際,遺産分割が終わる前に一部の共同相続人だけで銀行などに行き,遺産である預金等の引き出しを求めても,銀行側は応じないでしょう。
もっとも,被相続人の葬儀費用などを支出するため,被相続人の預金・貯金を遺産分割前に引き出さなければならない場合もあります。
そこで,共同相続人全員から同意を得られない場合でも,遺産分割前に遺産に属する預金や貯金を払い戻す方法を考える必要があります。
預金・貯金の便宜払い
金融実務では,従前から「便宜払い」と呼ばれる制度があります。
便宜払いとは,遺産分割前で共同相続人の同意を得ていない場合でも,被相続人の葬儀費用等のために資金が必要な場合には,共同相続人の一部による払戻しに応じるというものです。
共同相続人全員から同意を得られない場合でも,遺産分割前に遺産に属する預金や貯金を払い戻す方法としては,この便宜払いをしてもらえるかを検討することになるでしょう。
ただし,便宜払いは法律上の制度ではなく,しかも,金融機関側が後に何らかの法的責任を問われるリスクを負って行うものであるため,すべての金融機関が便宜払いをしてくれるわけではありません。
預貯金債権の一部行使制度
民法 第909条の2
各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の3分の1に第900条及び第901条の規定により算定した当該共同相続人の相続分を乗じた額(標準的な当面の必要生計費、平均的な葬式の費用の額その他の事情を勘案して預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とする。)については、単独でその権利を行使することができる。この場合において、当該権利の行使をした預貯金債権については、当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす。
民法第九百九条の二に規定する法務省令で定める額を定める省令
民法(明治29年法律第89号)第909条の2の規定に基づき、同条に規定する法務省令で定める額を定める省令を次のように定める。
民法第909条の2に規定する法務省令で定める額は、150万円とする。
前記のとおり,金融実務として便宜払いができることもありますが,すべての金融機関が応じてくれるわけではありません。
そこで,共同相続人の資金需要に応えるため,改正民法(2019年7月1日)により,家庭裁判所の判断を経ることなく,遺産分割前に預貯金払戻請求権を一部行為できる制度が設けられました(民法909条の2)。
すなわち,預金・貯金の一部行使制度とは,各共同相続人は,単独で,法務省令で定める額を限度として,相続開始時の預金・貯金額の3分の1に法定相続分を乗じた額までであれば,遺産に属する預金・貯金を払い戻すことができるとする制度です。
法務省令(民法第九百九条の二に規定する法務省令で定める額を定める省令)によると,限度額は150万円とされています(令和7年4月26日現在)。
例えば,相続開始時の預金残高が1200万円,相続人がAとB(法定相続分は2分の1ずつ)であった場合,相続開始時の預金額の3分の1である400万円に法定相続分2分の1を乗じた額は200万円ですが,150万円が法務省令により限度額とされているので,AまたはBがそれぞれ単独で引き出せる金額は150万円である,ということになります。
この預貯金債権の一部行使制度を利用するために家庭裁判所の判断を経る必要はありません。そのため,金額に限定はありますが,迅速に預金・貯金の引き出しができます(ただし,もちろん金融機関側が求める資料等の提出は必要です。)。
なお,預貯金債権の一部行使制度を利用して共同相続人の一部が預金・貯金の払戻を受けた場合,当該払い戻した部分については,遺産の一部分割によって取得したものとみなされます。
預貯金仮分割の仮処分
家事事件手続法 第200条 第3項
前項に規定するもののほか、家庭裁判所は、遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において、相続財産に属する債務の弁済、相続人の生活費の支弁その他の事情により遺産に属する預貯金債権(民法第466条の5第1項に規定する預貯金債権をいう。以下この項において同じ。)を当該申立てをした者又は相手方が行使する必要があると認めるときは、その申立てにより、遺産に属する特定の預貯金債権の全部又は一部をその者に仮に取得させることができる。ただし、他の共同相続人の利益を害するときは、この限りでない。
共同相続人の一部または単独で遺産分割前に預金・貯金を払い戻す方法としては,前記の預貯金債権の一部行使制度がスタンダードになっていますが,この制度には限度額が設定されています。
したがって,預貯金債権の一部行使制度で可能な金額を超えて払い戻しをするためには,家庭裁判所における遺産分割前の預貯金債権の仮分割仮処分(家事事件手続法200条3項)を利用する必要があります。
ただし,預貯金債権の仮分割仮処分を利用できるのは,すでに遺産分割調停または審判の申立てがされている場合です。
預貯金債権の仮分割仮処分は,あくまで遺産分割をする前の仮払いにすぎませんから,遺産分割調停または審判の申立てをせずに仮分割仮処分のみ申し立てることはできません。